ある瞑想家の気づき

瞑想を通して得た気づきなどを書いていきます

スパロボA ホシノ・ルリ 「あの人からは平和のインテリジェンスを感じません」

スパロボAでホシノ・ルリが仲間になったクワトロを評して「あの人からは平和のインテリジェンスを感じません」というセリフを口にするんです。
このセリフを初めて読んだ時「ルリ突然どうした?(笑)」って感じになったんですよね。
ルリらしくないというか、まるで誰かに言わされているかのようなセリフでずっと引っかかってたんですが、最近元ネタが分かりました。
これってZガンダムベルトーチカ・イルマのセリフなんですね。
Zを見ていたらベルトーチカがクワトロを見てこのセリフを口にしてました。

「平和のインテリジェンス」って言いたいことはわかるけど、なんか変な言い回しだなって思います。
でもその後のシャアの行動を見るとベルトーチカの評価って慧眼といっていいくらい的確ですよね。
なんでこのセリフをルリに言わせたのかはよくわかりませんけどね。ちなみにAPでも同じように口にします。

 

瞑想を続けていると退屈を感じにくくなる。

瞑想を続けていると、 自分の外部に何かを求めることがバカバカしくなります。
以前の自分は、 よく遠出をしたり、 走ったり、山に登ったり、とにかく暇があれば何か新しいことをやろうとしていたのですが、 最近では何もやる気が起きなくなりました。
ほとんど生産性のあるような活動はやっていません。
こういう風に書くと鬱なのかと誤解されるかもしれませんね。
そうではなくてもっと健全な、鬱の伴わない無気力とでも申しましょうか。 病的といえばむしろ前の方が病的だったと思います。

 

こういう状態になる前は、暇を感じるとすぐに「あ~暇だ!」と苦痛に思っていたのですが、 今は、 ただ「暇だな」という感じです。

 

あれがしたい、これがしたいと言う欲望、自分の外部に求めるものが減るに連れて、自分の内面と身近にあるものだけで満足できるようになるのだと思います。
最近では遠くで聞こえる工事現場のカーンカーンと言う金属音とか、鳥の鳴き声とか、身の回りの音をずっと聞いていられるようになりました。

二宮尊徳
「音もなく香もなく、常に天地は書かざる経を繰り返しつつ 」
という歌があります。

もっと自分の内部に降りて行けば、部屋の窓の外で風に揺られるネズミムギの穂が語りかけてくるものが私にも分かりそうな気がしています。

人はみな集団催眠にかかっている。

江頭2:50が催眠術にかかる動画を見ました。 

まず、催眠術師の先生が、 江頭さんを催眠状態にします。
そして「 口にするものが何でも甘く感じるようになる」という暗示をかけて、差し出したわさびを食べさせると、本当に甘く感じてしまうらしく、 江頭さんが「甘い甘い」と言って食べるのです。 
しかし途中で先生が指を鳴らして催眠を解除すると普通の感覚に戻ってしまい、江頭さんは途端にむせ返りわさびを吐き出してしまいます。 
そこでまた先生が指を鳴らすと、江頭さんは再び「甘い」わさびを食べ始めるのです。

 

不思議ですね。
人間の認識とか知覚がこんなに脆くて崩れやすいものだなんて。 
しかし考えてみればこの動画を面白がっているわれわれだって集団催眠にかかって生きているといえないでしょうか。

 

ほんの一例ですが、「年収がウン百万以上は勝ち組で、それ以下は負け組だ」とか、「20歳までに、30歳までにはああしなければいけない、こうしなければいけない」とか、「あの生き方が良くてこの生き方がダメ」とか、
こういった価値観にはなんの根拠もないわけです。
そしてまた、こういった類の何の根拠もないものを信じ込んだ人たちが、自分や他人に暗示を掛け合っているのが今の世の中ではないでしょうか。 

 

だから今、この催眠術師の先生のように指をパチンと鳴らして人の目を覚まさせてくれる人が世の中に必要なのです。 

眠っている人たちの中にあって、 目が覚めている人。そういう人のことを昔は賢者と呼んだのだと思いますが、今の世の中にそういう人はいるでしょうか。

 

スパロボα外伝のプレシア・ゼノサキス

 

私、ロリキャラはあまり好きではないんですけど、魔装機神のプレシアだけは例外的に好きです。
ロリコンではないですよ。ハイ、ないと思います。だって私がα外伝をやっていた頃はプレシアとそう歳が変わらなかったので、ちょっと年下の女の子を好きになるような感覚です。
それが20数年経過した現在でも変わらないだけです(強弁)

 

プレシアは10歳の女の子なので当のα外伝におけるキャラ性能は並以下なんですけど、登場ユニットのディアブロが強いんですよね。
武器改造値の伸び代が高くて5000を超える武器が2つあり(くるみ割り人形、剣の舞)それぞれにやたらと動くカットインが用意されています。
前者はフル改造「サン・アタック」後者はフル改造「斬艦刀」に匹敵する威力です。
プレシアは最終的に援護レベルが3まで上がりますからね。自他の行動を含めて4回くるみ割り人形が使えるのは大きな強みだと思います。

 

精神コマンドは「祝福」「期待」サポート系のレアな精神を覚えますが、実は「必中」「ひらめき」「熱血」と戦闘に必要な精神コマンドがバランスよく揃っていますから、「必中」「ひらめき」が必須のラストバトルまで使っていけます。

 

欠点は打たれ弱いことと空を飛べないことですが、強化パーツスロットが4つあるので余裕でカバーできると思います。
女性パイロット縛りなんかやったときは大活躍でした。

卵をどこよりも安く買う方法

卵の値段は相変わらず高いですね。小麦粉を使った嗜好品の多くも値上がりしていますし、清涼飲料水も値上がりしました。

当たり前ですけど、物の値段というのは需要と供給のバランスで決まります。
何もかも高くなるのはみんなが「高い高い」と言いながらも買うからです。
試しに1ヶ月ぐらい みんな卵を買うのをやめたらいいのです。
そしたらそのうち、卵1パック10円とかで投げられるようになるでしょう。(笑)

というのは冗談ですけど、これに近いことは可能だと思います。
みんな月に1回ぐらい断食したらいいのです。

なんで断食なのかというと、断食をすると「適量」というものが分かります。
そもそも、現代人というのは食べ過ぎ飲み過ぎなのです。
それも必要だから食べると言うのではなく、ストレス解消や娯楽のために食べています。

断食をすると全ての人がそう悟るわけではありませんが、何割かの人々は「自分は食べ過ぎていたな」と気づき、食生活を改めると思います。
間食も控えるようになるし、腹八分七分のところで済ませられるようになる。
そういった人々が増えると全体の食の消費量が落ちて、価格も適正なところに落ち着く。
栄養の必要な子供、病人、妊婦 など、必要としている人々が食品を買えるようになるし、食品ロスも減ると思います。
さらに多くの人が痩せて、適正体重になればこれから生活習慣病になる人も減り、医療費の削減にもなる。
断食は 一石が何鳥になるかわからない可能性に満ちています。
それも一石を投じるのではなく、自らが断食することによって一石になるのです。

広島県民が違和感を抱く ママレード・ボーイ 広島回

ママレード・ボーイには主人公の光希と茗子が名村に会うため広島にやってくる回があります。
物語の中ではかなり重要な回なんですけど、広島県在住の私が見るとどうしても違和感を持ってしまう箇所があります。
それは、公共交通機関で1時間はかかる広島市中心部から宮島間の面倒な移動を「10分程度しか移動してませんよ」みたいな距離感で処理しているところです。
しかもそれを1日に2回もやるので、広島県民としては、

「ええ、また宮島行くん!?」

みたいな感じになります(笑)

 

以下、アニメ本編の画像を引用しながら解説します。

 

第46話 広島へ…「もう一度そばにいさせて!」

 

 光希、茗子広島着。
東京から新幹線で四時間くらいかかるので、時刻は正午前?電話で名村を呼び出す光希。

「14時に厳島神社入口」 

名村先生ってどこに住んでいるんだろう。
どこにいようと厳島神社って待ち合わせ場所としては交通の便が悪すぎる。(私が名村だったら行きたくないよそんなとこ。)
光希のいる広島駅からだと宮島口まで電車で30分、フェリーで10分という距離だが、名村の居所によっては間に合わない可能性大いにあり。福山とかだったらまず無理。

 



名村到着 
定刻通りにやってきたらしき名村先生。涼しい顔をしているのでおそらく市内に住んでいたんだろう。(それでも車で一時間近くかかるが…)時刻(14:00)

 

第47話 海辺の二人「君の幸せを思うから…」

 

 

名村に完膚なきまでにフラれた茗子。日が沈みかける時間帯まで宮島に残る二人。
季節が1月下旬(48話がバレンタイン回)だから日の入りは 時刻(17:30)くらいかなあ。

 

 

路面電車が大通りを走っているので おそらく本通り(紙屋町~八丁堀付近)にあるホテルに到着する二人。
宮島口から路面電車で行ったのだろうか。それだと一時間弱くらいかかる行程。

ホテルの場所を探すなどしていたら時刻は(19:00)くらい?
傷心の身には結構しんどい。

 

アーケード街をぶらつく三輪と亮子先生
おそらく本通商店街ということで、やはりさっきのホテルは紙屋町あたりにある。

 

ホテルから出て宮島に向かう茗子。この間茗子は結構な時間部屋で泣きはらしていたと思う。 一時間くらい? ということで時刻(20:00くらい)
とてもじゃないが簡単に行ったり来たりできる距離ではないし、したくない。
(さっきも言ったが一時間以上かかる行程)

 

 

まだ宮島にいる名村 (寒そう)

 

 

三輪と亮子先生 宮島着 
本通商店街からやはり一時間かけて宮島にやってきた二人。茗子と同時刻くらいに出発しているだろうし、フェリーの待ち時間などもあるし、現在時刻(21:30くらい?)

 

 


三輪に左の頬を打たれて右の頬を差し出す名村。死後、聖人名村として列せられることになる。

 

 

少し遅れて茗子 宮島着 時刻(21:40くらい?)  

でも21時のフェリーって一本しかないから、もしかしたらここで修羅場を演じている四人(三輪、先生、茗子、光希)が同じフェリーに乗っていた可能性がある。

想像したら笑える。(1990年代はもっとあったかもしれないけど)

 


色々あって元の鞘に収まる二人  時刻(22:00くらいか)
しかし最終フェリーが22:42分となっているから、感傷に浸っている暇はない。急げ(笑)
(1990年代はもっとあったかもしれないけど)

 

 

 

「自分の意見」の持ち方

「自分の意見がない」という人いますよね 。
でも私は「自分の意見がない」ということを問題にする世の中に問題があると思ってます。
だから自分の意見がないのを異常なことのように感じる人が増えるのです。
実際のところ何も問題はないと思ってます。

で す が、
困っている人が多いので一応、秘伝である「自分の意見の持ち方」を書き記しておこうと思います。

単純なことなんですけど「自分の意見がない」というのは 「他人の意見」でいっぱいになっている証拠なのです。
現代人はスマホの見過ぎ、テレビの見過ぎ、音楽の効きすぎ、本の読みすぎ、要するに情報中毒に陥っているのです
もうお分かりですね。それらを一旦全部遠ざけるといいのです。

「自分」ひいてはそれに付随する「自分の意見」を発見するためには、まずは本を捨て、スマホを捨て、音楽を捨て1人になってください。

真っ暗な部屋にろうそくを立てて座るのもいいと思います。
毎晩、そのような時間を持てば「他人の意見」がやがて空になる。
その空になったところに自分の意見、もとい宇宙の叡智が注ぎ込まれます。

そうすれば今度は「自分の意見」を開陳したくて仕方がなくなってくるのです。
書を捨てて、街へ出て、誰かと何についてでも語りたくなる。
友達がいない人や非社交的な人はこうして私のようにブログをやりたくなるのです。
別に、ブログをやっている人は友達がいないと言っているわけではありませんよ(笑)
私はただ、何かを語りたくなる人が増えて、ブログ文化がもっと賑わうことを願っておるだけです。