ある瞑想家の気づき

瞑想を通して得た気づきなどを書いていきます

広島県民はスパロボでアトミック・バズーカを使うことにためらいを感じる

私は広島の生まれなのですが、広島に生まれると他県で生まれ育つよりも平和教育の洗礼を受けて育つことになるんですよね。

 

小学校中学校では平和記念資料館に行かされるし、折り鶴は折らされる。
祖父母からは原爆の話を聞かされて育ったし、図書室には原爆関連の蔵書も多い。
図書室で見た、被爆直後の市街地を俯瞰で描いたイラスト集は今でも忘れられません。

 

こういった環境の影響を強く受けると、大人になって平和主義者や護憲派に目覚めたり、核兵器反対の立場を取りやすくなるのですが、私は幸いそういう風にはなりませんでした。
だから平和教育の影響は何にも受けていないと思っていたのですが、最近になって1つだけその痕跡を見つけました。

 

それはスパロボでアトミックバズーカを使う時にちょっとしたためらいが生まれることです(笑)

 

この間プレイした第4次Sでは複雑な条件をクリアするとGP02Aが使えるようになり、一発でラスボス以外の敵をを消滅させることができるぐらい強いんですけど、使うのに逡巡しました。

 

「だってこれゲームとはいえ核兵器だよね」と。
今から78年前の1945年8月6日8時15分、祖母は爆心地より30km離れた実家で洗濯物を干していたのですが、ふと広島の方角を見ると大きなきのこ雲が浮かんでいて何事かと思った、という話を聞かせてくれたのを思い出しました。

 

ま、試射がてら結局使ったんですけどね。強すぎてゲームバランスが悪くなるので本プレイでは使いませんでした。
これは他のゲームでもだいたいそうだし、そもそもゲームとはいえ積極的に核を使いたいとは思わない、というのは相変わらずですね。

 

平和教育の弊害、別に深刻なレベルではないのですが、おそらく広島に生まれていなかったらこういった症状は抱えていなかったと思います。